主の御名を呼び求めている全ての人々と共に

記事のアーカイブ

2013年07月31日 15:27

神の国の福音 私達の本当の姿~花嫁として~

【イザヤ 43:4】 わたしの目には、あなたは高価で尊い。 この御言葉の本当の意味を知っているでしょうか? 「わたしの目」=「神の目」に私達がどのように映っているのかを知る時、私達はこの言葉の真価を受け取ることになります。 つまり、ここには私達の本当の姿が投影されているのであり、その驚くべき私達の姿に、圧倒的な神の恵みが私達に注がれていることを知ることができるのです。 【エゼキエル...
2013年07月28日 10:55

キリストの豊かさ

聖書箇所: エペソ...
2013年07月21日 22:51

キリスト者の歩み

私達が新たないのちを吹き込まれてから、キリスト者としての歩みがはじまりました。ではキリスト者として、主イエスキリストが望まれている歩みとは何でしょうか。地上でイエスと共に歩んだ弟子達は、最後にはイエスを見捨てて逃げてしまいましたが、イエスの望まれた歩みをしたと言えるのでしょうか? 主は地上で宝をのではなく、天に朽ちることのない宝を積むようにと言われました。また、私達はその歩みに応じて、天において報いを受けることになると聖書には書かれています。では、天に宝を積むとは、報いを受ける歩みとは一体何なのでしょか? 今日は前回に引き続き、キリスト者の基本を考えてみましょう。
2013年07月17日 19:21

神の国の福音 イエスの語られた福音

福音の本質が初代教会の時代に語られていた内容と、今現在語られている内容とでは大きく異なってしまっている。 この事実に突き当たった時、私は大きなショックを受けました。 というのは初代教会時代の教会と現存している多くの教会とでは、その力を全く失ってしまったと言っても過言でないほど、別のものとなってしまっています。 初代教会の時代に語られていた福音の力強さは、まさしくイエスがこの地を歩まれ宣教をされていた当時、また使徒行伝の時代に多くのクリスチャンを通して宣教がなされていた当時に起こっていた事実を聖書の中から忠実に読むのであれば、それは一目瞭然、現代とは比較にならないものであるということは言うまで
2013年07月14日 19:24

真実な十字架を直視

今のKFCはネットの向う側に、あるいはそれぞれ遣わされたところにいのちを流したい、光を届けたいと思う反面、燈台下暗しになっていると思われます。主の真実な十字架上の姿を直視しなおすべきです。それは霊から生まれる者は霊であるところの生い立ちを直視することでもあります。 主イエスの十字架刑の執行現場に居あわせた多くの群集にとって「十字架につけろ!十字架につけろ!」「その人の血は我々の子孫にふりかかっていい」の言葉に代表されるようにローマ帝国が課す、極悪人がつけられるべく一般的な十字架でしかありませんでした。 しかし、百卒長には「この方はまことに神の子であった。」の告白のとごく、主の十字架の真実な姿を
2013年07月07日 19:17

キリストへの純潔

聖書箇所: イザヤ54:1-10 主は私達をずっと以前から、「わが花嫁よ。わが花嫁よ。」と呼びかけていてくださいました。それは私達に何か特別な資格があるとか、特別な理由があるというのではなく、むしろただひたすらに主の忍耐によって、私達を一方的にそう呼んでいて下さったに過ぎないと言えるでしょう。それほど、私達の心は一つではなく、むしろ主以外のあらゆるものに心奪われ、移り気で、とても小さな未成熟な愛によるもので、主のそのような呼びかけにとてもふさわしいと言えるような者ではありませんでした。 それでも、主がそう呼び続けてくださったのは、「永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ(イザヤ54:8)」
2013年07月02日 19:23

メッセージダウンロードを再開しました

今週(6/30)の音声ファイルが復旧いたしました。ダウンロード再開させていただきます。 皆様には大変ご迷惑をおかけいたした。
2013年06月30日 23:31

メッセージダウンロードの不具合について

今週(6/30)の音声ファイルに不具合が見つかり、ダウンロードできない状態になっております。 皆様には大変ご迷惑をおかけいたしますが、復旧まで今しばらくお待ちください。  
2013年06月30日 17:28

教会

日本語で言う「教会」とはエクレシア、すなわち召し出された者達の集まりを意味します。私たちはサタンの支配するこの世から召し出されたのであり、それまではサタンの霊や肉に従って生きていました。その生活から召し出され、神の国へと招待されたのです。この世から召し出されたということは、サタンの支配から神の支配に移されたことを意味します。事実、私たちはキリストのからだにつながれたのです。では、私たちは神の国に入っているかというと、完全に神の国に入っているわけではなく、相変わらずこの世で暮らしています。何故神は召しだした私たちを天にある神の国に入れずに、この世で生活させているのでしょうか? 神の国はすでに来て
2013年06月24日 22:30

霊と真理による礼拝

心にスーっと入って来た御言葉、特に救いをもたらせてくれた御言葉は釈義するでもなく、理屈なしに美味しく食されたことと思われます。しかし、いつもこういう食事ができるわけではなく、何らかの方法(メッセンジャーを介してなど)による学習を通して、「これこれこういうのが美味しいのだ!」と観念的に食していることが多々あります。釈義しなければならないことが確かにありますが逆にまずくしてしまうこともあります。こういうとき、御言葉が反芻されると本当の味を知っていくこととなります。日常の信仰生活におけるこれら一連の過程がロゴス的礼拝です。そして主が信仰者一人ひとりに絶対的に求めているのが霊と真理による礼拝であり、ア

お問い合わせ先

Kingdom Fellowship Church 公式サイト

kingdomfellowship@excite.co.jp

横浜市神奈川区二ツ谷町10-1二ツ谷ビル3F

050-5532-2191

サイト内検索

© 2013 All rights reserved.| Webnode AGは無断で加工・転送する事を禁じます。

無料でホームページを作成しようWebnode