地上に生きる人々は、命を長らえさせるこのを目的に日々を過ごし、閉ざされた永遠のいのちへの道を知ることはできません。そのような人々に対して永遠のいのちへの道を開き、かつてのエデンの園のようにいのちを満ち溢れさせるために、キリストが十字架にかけられました。そしてキリストはいのちの力によって大祭司になられ、共に御国を管理するために私たちにキリストの衣を着せてくださり、キリストに似たものと造り変えて下さいます。私たちのなすべきことは主から目を離さず、十字架に近づき、キリストからのいのちの流れを絶やすことなく受取り続けることです。そのことで私たちからキリストのいのちが川々となって流れ出し、周りの人々にキリストのいのちが伝わることとなるでしょう。このことが大祭司キリストのもとで祭司となった私たちの務め、とりなしなのです。そのためには、一人ひとりがキリストを見上げ、近づき、いのちの流れを受け、それを流し出す必要があります。その時、集う場所においていのちが満ち溢れることを、一人ひとりが感じるでしょう。