主イエスキリストが最も嫌われている教会は、冷たくも熱くもない教会(ラオデキヤにある教会、黙3:14 )です。クリスチャンとしての歩みが長くなると、ラオデキヤの教会のようにいつの間にか冷たくも熱くもない生活に陥る可能性があります。ここの教会の歩みもそれに陥っていたかもしれません。
私達はイエスとの交わりを深め、実際に生きておられ、最も身近なイエスキリストとの出会いを繰り返し、新しい息吹を吹き込んでもらう必要があります。罪のないお方と身近に接するたびに、私たちの罪が明らかにされますが、悔い改めによってキリストとの関係を修復できます。このようにイエスキリストにとどまり続けることで、新たないのちが常に流れてきます。
その御方との新たな出会いのために、まず求めましょう。私たちが求める度に、イエスキリストは私たち一人一人の名前を読んで下さるでしょう。