私達を育てて下さるのは、人ではなく主イエスキリストです(1コリント 3:6)。そのためにイエスは私たちに様々な試練をお与えになったり、各々に異なった形での交わりに招いて下さったりします。その招きに応じるかどうかは、その人たち次第です。応じた人は不思議な導きや力を感じるでしょうし、応じることに躊躇した人たちは、心に穏やかではないものを感じるでしょう。イエスは私たちの意思を尊重されますので、心の扉を無理に開けることはなさいません。その扉を開けるのは私たちです。これらの招きは何度もありますが、招きに応えず、イエスに立ち去られた経験をお持ちの方も多くおられるでしょう。 しかしこの招きの経験を通して、イエスを迎える準備の大切さを学ぶことができるのです。
注意しないといけない事は、イエスに応じることであり、人やしきたり、ルールによって動かされるのではありません。その場合、疲れ、たゆみ、つまづきを経験することになるでしょう。イエスに応じたならば走ってもたゆまず、歩いても疲れません。そして御霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」がそこには産れるはずです。