ここで何度も語られてきたエクレシアについて、もう一度確認しておきたいと思います。エクレシアとは召し出された者達の事で、かしらなるキリストの御からだであり、キリストの充満です。エクレシアは神の家でもあり、キリストの忠実を確信し、希望を持っている人々です。この確信と希望はがんばって持とうとするのではなく、心の奥底にある自分の罪を感じ、主の贖いと十字架の尊さ、そして愛に触れた時に自然と持ち続けることができるものです。エクレシアでは召し出された様々な人々が関わりますが、重要なのは成長させて下さる神です。すなわち牧師、預言者、長老など、特別な役職を持った者たちが重要なのではありません。器官としての働きは一つなのです。このことも、主イエスキリストの御業を敏感に感じていないと、表面的な事に目を奪われてしまいます。すなわち派手なパフォーマンスの預言者などのみに向いてしまうのです。今年に入り主イエスキリストは、私たちがうすうすと感じていた事を光りのもとに明らかにして下さいました。御言葉以外のものや人工のものは崩される必要があると3年前に述べました。そして今年に入り最も触れずらかった事に、主の御手が働いて下さいました。主イエスキリストに感謝です。
週報 メッセージアウトライン (PDFファイル)