キリストの御体として今現在KFCは顕現しつつあります。(エクレシアそのものは既に完 成されたものではありますが)---新たな産みの苦しみが見え隠れしています。エクレシ アが水と血と御霊によって生まれたそれ自体(御体)であり、そこに霊の実(成分は9つ)が時系列上ではなく、永遠の中に顕現します。このことはエクレシアの内や外(世)の環境がどうであるかに関わらずにです。しかし、好きこのんでするわけではありませんが、霊の闘いをせざるを得ない状況に陥ったなら、不正を喜ばずに真理を喜びますが、私はあえてその状況をも喜びます。私たちの血肉の戦いではなく主の闘いです。光が介入してくださるのです。結果として光の結ぶ実(あらゆる善意、正義、真実の3つの成分)を得るのです。先の霊の実が持つ成分と重複している部分において、主がキリストの花嫁としてエクレシアをどういうふうに仕上げたいのか意図しているように思われます。また主がエクレシアを構築する上での特徴はそれぞれに上から与えられた最も聖い信仰(主観的にとらえるべき)の上に自分自身を築き上げられつつ、ますます集合体としてのエクレシアに組み込んでいこうとしています。メッセージでは初代教会が直面した霊の闘いに触れたいと思います。