聖書箇所: イザヤ54:1-10
主は私達をずっと以前から、「わが花嫁よ。わが花嫁よ。」と呼びかけていてくださいました。それは私達に何か特別な資格があるとか、特別な理由があるというのではなく、むしろただひたすらに主の忍耐によって、私達を一方的にそう呼んでいて下さったに過ぎないと言えるでしょう。それほど、私達の心は一つではなく、むしろ主以外のあらゆるものに心奪われ、移り気で、とても小さな未成熟な愛によるもので、主のそのような呼びかけにとてもふさわしいと言えるような者ではありませんでした。
それでも、主がそう呼び続けてくださったのは、「永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ(イザヤ54:8)」と誓われた主の愛によるものであり、さらには主が私達の愛を独占されることを切に望み続けられたからでした。なぜなら、純潔を必要とする主と私達の愛の究極の完成の姿こそが、結婚の奥義たる新天新地の姿であるからです(イザヤ54:11-17)。白い衣を着て、その顔覆いを取り除け、主と顔と顔を合わせてまみゆる日、主に捧げるべき純粋な愛をこの地上でいかに育むか。共に考えていきたいと思います。