新約の信仰者にとって主と告白し、十字架上に主イエスという唯一のささげ物・供え物が捧げられているそのところから、本来祝福にあずかれているのですが、実態はそれが敵によって騙し取られていることがあります。その原因の一つに、実際の信仰生活における礼拝において、知らず知らずに異なった火が捧げられていて、その燃焼を止めるべく灰をかぶる(霊的な意味で)べきことを要求されます。それは悔い改めの初期段階であり、緊急を要する事態でもあります。
モラルが荒廃し、残虐さが蔓延していたニネベの町もヨナの宣教によってそのことが指摘されました。かくして滅びからのがれ、目に見える形で祝福が回復することになりますが、私たちキリスト者が世では見いだせない本当の意味で持っているその向こう側にある希望を語るべきです。-----本日語る希望の要旨は、
キリストの再臨以降、「血」が介在しない世界であり、ノアの日の大洪水以前の秩序に戻ることです。今現在は儀式礼拝のみならず日常の食生活にも「血」が介在しているのですが。そしてこの希望は主の十字架上で神と人との和解が成立した事実から既に発っしているのです。
レビ9:22-10:7、ヨナ3、イザ61:3、ヨハ12:24、イザ11:1-10