今年に入って基本的なメッセージの頻度が増しているように思われますが、その中で一人の兄弟に二度にわたってエクレシアについて語るように迫りがあったことを私なりに注視しています。KFCという地上での群れに限定して神の主観的な言葉(レーマ)が発しているように思われるのです。この御言葉は「だれも真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。」(マタイ9:16、マルコ2:21)が示されています。実際主が天においてKFCの破れに継ぎをしてくださっていると主張しています。地上に遣わされている私たちに何かを要求しているのではありません。ですから強いて私達が何かをするとしたら、主が成してくださったことへの応答としての「主の祈り」です。
’御心が天においてなるごとく’---御心が天でKFCに継ぎが当てられているごとく-→’地にもなさせたまえ’-----地に遣わされているKFCにも成させ給え、です。本来のエクレシアがキリストの充満(プレローマ)なら、破れに継ぎ切れを当てることもプレローマです。御心は新しい葡萄酒と新しい皮袋の両方を保つことですが、私のちっぽけなエゴイズムはKFCが主の深い愛のうちに保たれますように!
エペ1:22-23、マタイ9:16、使13:42-52、ヘブ7:24-26