2013年06月09日 17:31
聖書箇所: ヘブル11章
私達はキリスト者として生きる目的を本当に知っているでしょうか。
多くの兄弟姉妹がこの地上に生きることに目的を置き、むしろそのことによってこの世に敗北し、生きる目的を見失っています。それはこの世の君が支配する場所で、この世の摂理の中に戦いを挑んだが故の当然の結果と言えます。しかし私達の生きる目的は別の所にあります。それは主が完成された御業、新天新地を今聖霊の内に与えられている者として、つまり御国の証印たる聖霊を内にいただいている者として、主の完成された計画を一日も早く成就されるよう、その計画を進めるという目的です。旧約新約を貫き、主に喜ばれた聖書の登場人物達は主のこの計画つまり御心を成就するために生きた人達でした。信仰を持つ者だけが見ることのできる永遠の計画。彼らはその計画を、まだ見ぬ彼らの天にあるふるさと、継ぐべき御国を、遙か遠くに仰ぎ、望みながら歩むことにより、一日一日と進めて来たのです。
私達の本当に戦える場所、真の生きる目的を知りそこに進むための場所は、天にあり、永遠というものの中にあるのです。私達はこの天を望む思いを、言いようのない霊の欲求の中に持っているのです。それはあたかもふるさとを慕い求めつつ、たどり着くことのできないこの地における寄留者のように。この地は私達の安住する場所でも、目的を全うするための場所でもないのです。だからこそ、私達は「目標のはっきりしないような走り方をせず、空を打つような拳闘はしない(1コリント9:26)」ために、主に喜ばれる真のキリスト者としての歩みを求め、自らの歩みを見つめ直そうではありませんか。