今のKFCはネットの向う側に、あるいはそれぞれ遣わされたところにいのちを流したい、光を届けたいと思う反面、燈台下暗しになっていると思われます。主の真実な十字架上の姿を直視しなおすべきです。それは霊から生まれる者は霊であるところの生い立ちを直視することでもあります。
主イエスの十字架刑の執行現場に居あわせた多くの群集にとって「十字架につけろ!十字架につけろ!」「その人の血は我々の子孫にふりかかっていい」の言葉に代表されるようにローマ帝国が課す、極悪人がつけられるべく一般的な十字架でしかありませんでした。
しかし、百卒長には「この方はまことに神の子であった。」の告白のとごく、主の十字架の真実な姿を見いだせました。これを見いだせたのは母マリヤや右側の十字架につけられた犯罪人等、極少数でした。
この犯罪人は主の真実の姿を直視できたとき、自分の十字架を直視できた(光が当てられた)のでした。それでその人の人生の目的・希望が復活したのであり、人生が成功したのです。
私の霊的状態いかんに関わらず「御言葉を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」(Ⅱテモテ4:2)が迫ってきます。
聖書箇所:ルカ23:39-43、黙2:7、マタイ27:20-25、44-54、ヨハネ14:12-20、20:19-22、ガラテヤ6:7-9、詩篇133:1