あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。-詩篇55:22
多くのクリスチャンが祈りの生活にあって神の御用を果たしていません。それはあまりにも多くの重荷を負い込んでいるからです。彼らは祈りにおいて重荷を解き放つと言うよりは、それらを溜め込んでしまうのです。そしてついにはその重荷で圧し潰されて、まったく祈ることができなくなるのです。
たとえばあなたがある人に援助を求めたとします。ところがその人自身がすでに手一杯の状態であるとしたらどうでしょうか。彼の助けを求めても役に立たないでしょう。同様に、神があなたに任せられた重荷で圧し潰されていたとしたら、どうして神はそれ以上のことをあなたに委ねることができるでしょう。祈りの務めのためには解放された霊が必要なのです。そうでないと神の働きは大きく損なわれるでしょう。あなたは自由の器として、神の御用に当たりたいと願いますか?そのためには神にすべての重荷を委ね、霊的な解放を求めなさい。