御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。-マタイ6:10
私たちはこの祈りをすべきです。「あなたの御国が来ますように!」と。御国が勝手にもたらされるのであれば、その祈りは別に必要なかったでしょう。しかし神の民は祈る必要があります。それにより、その叫びに対する答えとして神のわざがなされるのです。「あなたの御旨がなりますように!」。そうです、しかしどこにでしょうか?「地上に」です。今日神の御旨がなされていないのは地上のみです。では神の御国はどのようにもたらされるのでしょうか?それは被造物の意志と創造者の意志が一致することによってです。それらは共にサタンの反逆的な意志を駆逐することを求めるのです。なぜなら祈りはつねに三方面に向いているからです。祈りは祈る対象、祈るための相手、対抗する対象です。地上には対抗すべき対象が存在します。その意志は神の御旨に敵対しているのです。その反逆的意志に対しては、神の意志は単独では働きません。神は私たちの祈りを待っておられるのです。主の祈りは私にとって祈りの模範であるだけでなく、それはまた神の心を啓示しているのです。