あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか。-使徒4:7
私たちは主の昇天によってもたらされた全能の変化に目を置く必要があります。イエスの御名はナザレの大工の称号と共に、御座に座すお方のアイデンティティとして確立されましたが、さらにそこに止まりません。その御名は地にあるもの天にあるもの、さらには地の下にあるものがすべて膝をかがめるべき名であるのです。ユダヤ教の指導者たちでさえ、弟子たちが足なえを癒した時にこのような質問をすることにより、ひとつの名にそのような権威が与えられていることを認識していたのです。
今日、その御名は神が御子にあらゆる権威をお与えになったことを告げています。その名前自体に力があるのです。しかし、さらには、その名は御子のものであるばかりでなく、「人々にも与えられて」いるのです。神はその名を私たちが用いるようために、その権威を私たちにも委ねられたのです。主イエスが最後の道行をされる過程において、三度、「わたしの名によって求めよ」と繰り返されました。主は私たちに、「わたしの名によって求めるものは、何でもかなえてあげよう」と言われた時、何と言う確信と共にその約束を私たちに委ねられたことでしょう。