イエスはその日に備え、ミニストリーに対する様々な訓練をされます。本来は預言的ミニストリーの側面を持つはずの現在の教会にも、必要な事柄です。本日の交わりで、光があたった個所は以下の通りです。
ルカ9章: ミニストリーの訓練と山上での変貌
9:1 主が権限を与えられるのは、悪霊を追い出し、病気を癒し、神の国を宣べ伝えるため
9:33 モーセ、エリヤが別れるとき、ペテロに言って欲しかった言葉は「イエスの御言葉に従う」(35)という言葉だったかも。
9:41 不信仰のために悪霊を追い出せなかった。⇒弟子訓練を受けたが、弟子達には悪霊を追い出すことの意味、主がなしてくださることの意味が分かっていなかった。⇒9:54 自分たちが天から火を起こせると勘違い、高ぶっている。
9:46 イエスが救い主であり、新しい国をお造りになると思い始め、自分たちに色々な権威が与えられたと感じ始めたとたん、出世のことが気になり始める。⇒現代も同じ。
ルカ10章: 弟子たちの派遣
10:3 12弟子たちを使わされた時よりも、霊的戦いは激しくなっている。
10:4-12 12弟子たちよりも、福音の言葉の拒否に対して厳しくなっている。
10:13、15 コラジン、ベツサイダ、カペナウム ⇒福音を拒否したことの罪は重い。
10:17 弟子達は勘違いしている。悪霊は主に服従。
10:20 奇跡を起こした時に必要なことは、名が天に書き記されていることを喜ぶことのみ。自分が奇蹟を起こすわけではない。
10:28 御言葉を知ったら、実行することが必要。そうすればいのちを得る。
10:29 神学を知っても実行しない。自分の正しさを示そうとするだけ。
10:39、41、42 最も重要なことは、主の足元にすわって、主御自身の御言葉に聞き入ること。人から伝えられる間接的な言葉ではない。
ルカ11章: 様々な教えとパリサイ人の敵意
11:1 ヨハネも祈り方を教えていたように、イエスにも祈り方を尋ねる。⇒ 当時の教師の祈りとは異なるものを感じたのか。
11:5-8 サタンが支配する夜である現代に、三位一体の神(三つのパン)によって新しい御国が来るように、七日目の安息に入られている主に対してしつこく祈る必要がある。
11:43-44 悪霊との戦いが激しくなるとともに、パリサイ人たちへの批難も厳しくなっていく。
ルカ12章: その日のための正しい態度
12:10-12 ペンテコステ後の、聖霊の働きと使徒の活動についての注意事項を述べている。
12:46 不忠実な者ども(世の者たち)と同じ目に会う。⇒ いのちの書から消されることもある?
12:47、57 クリスチャンとなり、聖霊を受けたあとの行動や何が正しいかを判断するのは、自己責任。