主の御名を呼び求めている全ての人々と共に

ウォッチマン・ニーの黙想集『_荒野に宴をもうけ_』から

 

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荒野に宴をもうけ

2013年03月24日 22:00

10月16日 コロサイ1:11

神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、・・・喜びをもって― コロサイ1:11 使徒職には信任状が付与されます。真の神聖な委託があるところには、使徒のしるしが必ず伴うのです。パウロにはその真の委託の証明が豊かに伴いました。「私は取るに足りない者」と言いつつも「使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、あの奇跡と不思議と力あるわざです」と第二コリント12章で彼は書きました。これから私たちは、忍耐こそが霊的力の証拠の中でも一番最初のものと分かります。それは主に「遣わされた者」としての私たちの召命の実際性をテストする絶えざるプレッシャーの下に留ま
2013年03月17日 19:00

10月15日 1列王記1:37

わが君、ダビデ王の王座 - 1列王記1:37 「ダビデ王」と民らは親愛の情をこめて呼びました。確かにダビデは1インチの細部に至るまで王でした。荒野で牧者として父の羊を牧しつつ、主の名によってライオンを追いはらった時も、彼は王でした。後にゴリアテがイスラエルを脅し、サウルですら恐れおののき、自らの民を治めることができなかった時も、ダビデは恐れることがありませんでした。王の心の中には恐れはないのです。しかし何にもまして、サウルからの逃亡者であった時、彼を追いつめつつも、直ちにその追跡から解放されるであろう一撃を与えることがなかったのです。これこそ真の王たる者のあり方です。自分自身の霊を制御で
2013年03月10日 20:09

10月14日 使徒4:7

あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか。-使徒4:7  私たちは主の昇天によってもたらされた全能の変化に目を置く必要があります。イエスの御名はナザレの大工の称号と共に、御座に座すお方のアイデンティティとして確立されましたが、さらにそこに止まりません。その御名は地にあるもの天にあるもの、さらには地の下にあるものがすべて膝をかがめるべき名であるのです。ユダヤ教の指導者たちでさえ、弟子たちが足なえを癒した時にこのような質問をすることにより、ひとつの名にそのような権威が与えられていることを認識していたのです。  今日、その御名は神が御子にあらゆる権威をお与えになった
2013年03月03日 17:09

10月13日 ルカ18:7

まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。-ルカ18:7  今、ひとりの男があなたの家に押し入り、あなたの主権を侵して居座る場面を創造してみてください。あなたはどうしますか?地方裁判所に出向き、その地の法律に訴え、彼に対する命令を得るでしょう。そして法的な命令で武装しつつ、彼を追い出すでしょう。むしろ彼は鎖につながれなくて幸いだったことでしょう。ところがこの世の状況もこれと変わることがありません。神の「行政命令」は、この世の不法な占拠状況に対して発効されています。あの者は出ていくべきなのです!問題はサタンにとって
2013年02月24日 17:43

10月12日 マタイ6:10

御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。-マタイ6:10  私たちはこの祈りをすべきです。「あなたの御国が来ますように!」と。御国が勝手にもたらされるのであれば、その祈りは別に必要なかったでしょう。しかし神の民は祈る必要があります。それにより、その叫びに対する答えとして神のわざがなされるのです。「あなたの御旨がなりますように!」。そうです、しかしどこにでしょうか?「地上に」です。今日神の御旨がなされていないのは地上のみです。では神の御国はどのようにもたらされるのでしょうか?それは被造物の意志と創造者の意志が一致することによってです。それらは共にサタンの反逆
2013年02月17日 17:56

10月11日 1コリント12:21

 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできない-1コリント12:21  初期の上海における私たちの働きにおいては、私は告白せざるを得ませんが、集会のレベル・アップのために努力しました。特に祈りの集会において、かなり高い標準を目指したものです。結果として、私はある種の兄弟たちの祈り方に深く失望したのです。何とも嫌な気分を覚え、そのことを語りました。なんと私は間違っていたことでしょう!  それからしばらして、私は主によって脇に外され、物質的欠乏に見舞われました。私は懸命に祈りました。しかし、私のその強烈な戦闘的祈りは私をどこへも導きませんでした。ついに主は私に語ら
2013年02月10日 17:07

10月10日 詩篇55:22

 あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。-詩篇55:22  多くのクリスチャンが祈りの生活にあって神の御用を果たしていません。それはあまりにも多くの重荷を負い込んでいるからです。彼らは祈りにおいて重荷を解き放つと言うよりは、それらを溜め込んでしまうのです。そしてついにはその重荷で圧し潰されて、まったく祈ることができなくなるのです。  たとえばあなたがある人に援助を求めたとします。ところがその人自身がすでに手一杯の状態であるとしたらどうでしょうか。彼の助けを求めても役に立たないでしょう。同様に、神があなたに任せられた重荷で圧し潰されていたとしたら、どうして神はそれ以上

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