主の御名を呼び求めている全ての人々と共に

記事のアーカイブ

2013年05月12日 17:49

いのちの躍動感 イザヤ40:31

信仰の歩みにおいて諸々の問題に直面する度、主(の御業あるいは解決)を待ち望むことになりますが、その究極は贖いの完成をもたらすことになる再臨です。そこに希望を持ち続けること(特に意識したとき)は、信仰者に既に与えられているキリストの命に活力と躍動感をもたせてくれます。ですから私たちがいのちを流そうとするところにも当然それ等が付随しています。しかし、世に在ることがつらい、希望が持てない(クリスチャンにとっては当然)といった理由で携挙を願うのは刹那的であり、不健全です。流す以上はパウロのように大使の役を担うべきです。大げさと思われる方がいらっしゃると思われますが、キリスト者には大使として必要不可欠な
2013年05月05日 17:11

いのちの流れその2イエスとの出会い、何度でも

主イエスキリストが最も嫌われている教会は、冷たくも熱くもない教会(ラオデキヤにある教会、黙3:14...
2013年05月05日 15:14

わが道の光 詩篇46:10

【詩篇46:10】 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。 人は知ってか知らずか、神の前に自分の主張をし続け、騒ぎ立ちます。 その主張は自らを正しいとしながら、その善悪の内に争いを生み、果ては戦争に至るまでその主張は止むことはありません。 そのように歴史は重ねられてきましたが、それは神を信じるクリスチャンとても同様です。 悲しくも神の名によってまで主張を続け争いを生み出すのであれば、神を知らない者よりも神を悲しませることになります。 なぜなら、神はご自身の御心を一人だけに語ると言うことはないからです。 こんな喩え話があり
2013年05月02日 16:10

わが道の光 ヨハネ5:7

【ヨハネ...
2013年04月29日 06:04

黙示録 (2) ~ バイブルスタディー その68

いよいよ封印が解かれ、最後のときが始まります。王国の建設の前に裁きが行われますが、私たちクリスチャンを励ますためにこの黙示録が与えられたのだということを、忘れずに読んでください。本日の交わりで、光があたった個所は以下の通りです。 黙示録5章: ...
2013年04月28日 18:35

神への近道

ヨシュア記に於いて、イスラエルの民がヨルダン川を渡り、新しい出発をし、新しい地に足を踏み入れ、先に主の約束された通り、主がイスラエルの民の先を歩まれ戦われその地を勝ち得た時、主は十二部族を各々治めるべき地に遣わされた後、彼らが主に従うか否かを試みられました。 つまり遣わされた地に戦うべき民を残しておくことにより、彼らをイスラエルの民の試練として置いておいたのでした。 それはエジプトを出て以来、イスラエルの民は未だ偶像礼拝を残し、主を侮り逆らう偽りが彼らの信仰の中に根強く残っていたからでした。 主にあるエクレシアとして、主のみこころを行う新しい歩みに足を踏み出した私達にも同様に、「信仰はためさ
2013年04月22日 06:16

黙示録 (1) ~ バイブルスタディー その67

イエスの十字架によって新しい歴史が始まり、地上に対するサタンの支配からの解放への道が開かれました。そして完全なる解放に向かって敵との戦いが激化していきます。完全なる解放へと向かう終末への道程を、神の視点から示したものが黙示録です。本日の交わりで、光があたった個所は以下の通りです。 黙示録1章: イエスの示された幻 1:3 ダニエル12:4は、終わりの時まで書を封じられた。ヨハネはあかしした。時が近づいたから。 1:7 初臨と異なり、イエスの再臨はすべての人が見る。 1:9 パトモス島に流されたのは、黙示録を書くため。 1:16-17 イエスの右手に教会:教会はイエスによって保護さ
2013年04月21日 19:30

いのちの流れ

地上に生きる人々は、命を長らえさせるこのを目的に日々を過ごし、閉ざされた永遠のいのちへの道を知ることはできません。そのような人々に対して永遠のいのちへの道を開き、かつてのエデンの園のようにいのちを満ち溢れさせるために、キリストが十字架にかけられました。そしてキリストはいのちの力によって大祭司になられ、共に御国を管理するために私たちにキリストの衣を着せてくださり、キリストに似たものと造り変えて下さいます。私たちのなすべきことは主から目を離さず、十字架に近づき、キリストからのいのちの流れを絶やすことなく受取り続けることです。そのことで私たちからキリストのいのちが川々となって流れ出し、周りの人々にキ
2013年04月14日 19:57

ルカ(6)~ バイブルスタディー その66

イエスは終末で起こることを預言し、預言のとおり自ら十字架につかれました。そして復活の後、預言者達の最後の準備を整えられます。本日の交わりで、光があたった個所は以下の通りです。 ルカ21章: 終末について 21:12 迫害が証の場として用いられる。 21:33、36 終末にあって重要なこと:御言葉をしっかりと握ること(33)、油断せずに祈っていること(36)。   ルカ22章: 過越しの食事とイエスの逮捕 22:15、24 イエスが楽しみにされていた過ぎ越の晩餐(新約の契約の場)に参加した人たちは、肉のため論争を始める。聖なる場と出席する肉なる人が対照的。 22:31
2013年04月14日 17:15

光の中にあって楽しむ

神の国とそれに反対するすべてのものとの対比を表現するために、光と暗闇との対比として、特にヨハネとパウロの書簡の中にみられますし、最近そのことを語られていますが、もう少し踏み込んで、‘光の中にあって楽しむ‘ことの詳細を語りたいと思います。その‘楽しむこと(の命令)‘中心は「詩と賛美と霊の歌とをもって互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい」(エペソ5:19)と思われます。「賛美しなさい」と訳されている言葉は元々ギリシャの七弦琴の弦を鳴らすことを意味しますが、おそらくここでは言語学的意味は意図されなかったでしょう。詩篇を歌うという意味に取るべきでしょう。(実に英語の詩篇PSALMは<

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