主の御名を呼び求めている全ての人々と共に

メッセージアウトライン

2013年09月22日 17:33

御心と人のあゆみ

 イエスは言われました「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです」(マタイ7:21)。私達は御父のみこころを行うべきであり、事実多くのクリスチャンは主の御心に沿った歩みを求めているでしょう。そのために長い時間をかけて祈る方もおられるでしょう。しかし主の御心をはっきりと知ることは本当に難しく、それがわかるなら苦労はいらないと言われそうです。あるいは、そのためのノウハウがあるのなら、神の御心を知るための方法などといった本も出版されそうです。私達に最も身近な存在であられる主の思いとは何なのでしょうか?主の御心
2013年09月15日 16:53

愛のうちに保持

今年に入って基本的なメッセージの頻度が増しているように思われますが、その中で一人の兄弟に二度にわたってエクレシアについて語るように迫りがあったことを私なりに注視しています。KFCという地上での群れに限定して神の主観的な言葉(レーマ)が発しているように思われるのです。この御言葉は「だれも真新しい布切れで古い着物の継ぎをするようなことはしません。そんな継ぎ切れは着物を引き破って、破れがもっとひどくなるからです。」(マタイ9:16、マルコ2:21)が示されています。実際主が天においてKFCの破れに継ぎをしてくださっていると主張しています。地上に遣わされている私たちに何かを要求しているのではありません
2013年09月08日 18:16

主を悲しませないために

聖書箇所:ルカ18:8   信仰経験がある程度長くなってくると、信仰生活はだんだんと安定し、ある意味バランスが取れてきます。それが揺るぎない信仰を意味するものであれば確かに喜ばしいことです。しかしそれが信仰生活の妥協を意味するバランスの安定であるならば、事は喜ばしいことではありません。   それは聖書の言葉に従うのではなく、御言葉を自分なりに言い訳した妥協した生活であったり、また日々神に近づこうと願うことをあきらめ、それなりの程良い距離感を神に対して保ち、また神を愛することを妥協して、つまりは神との関係を妥協する生活であったりなど。自らの日常生活や欲求を優先するために、各々が良しとするところを
2013年09月01日 17:53

人の道と神の道

人は自分の力で生きて行くように運命づけられています。アダムとイブの一度の失敗により、神様との交流が絶たれたためです。そのため人は食べ物や飲み物を得ようと努力し、それがかなうと財力、権力を増し、そして名声を得ようと努力します。このためには手段を選ばない人たちも現れ、その競争についていけない者達、一般的には脱落者と呼ばれる者達も出てきます。上へ上へと登っていこうとする姿、上昇思考を持つのは、神の域に達したいという潜在意識が人にはあるからかもしれません。このことは科学、特に医学や物理学の世界での著しい進歩と関係があると思われます。 世の中は競争社会であり、上昇思考は世の中で生きて行く上で大切なことと
2013年08月25日 17:00

希望の回復

新約の信仰者にとって主と告白し、十字架上に主イエスという唯一のささげ物・供え物が捧げられているそのところから、本来祝福にあずかれているのですが、実態はそれが敵によって騙し取られていることがあります。その原因の一つに、実際の信仰生活における礼拝において、知らず知らずに異なった火が捧げられていて、その燃焼を止めるべく灰をかぶる(霊的な意味で)べきことを要求されます。それは悔い改めの初期段階であり、緊急を要する事態でもあります。 モラルが荒廃し、残虐さが蔓延していたニネベの町もヨナの宣教によってそのことが指摘されました。かくして滅びからのがれ、目に見える形で祝福が回復することになりますが、私たちキリ
2013年08月18日 17:27

偽りとの訣別

聖書箇所: ヨハネ3:5-8 前回もお話した通り、この国が持つ信仰はマモン(マタイ6:24「富」)に対するものです。つまり私達のクリスチャンとしての霊的な戦いは、この国おいてはマモンに対する戦いに大きなウェイトがあるとも言えるのです。しかし、この面において、どれほど多くの聖徒達が、またどれほど多くの教職者達が、敗北をし、また祝福を失ったことでしょう。まるでエサウが目の前の食べ物のために長子の権を失ったように。地位名誉、富、心を奪わせるものは根深いものがあります。 サタンはこのように巧妙に私達に戦いを挑んできます。彼らは御言葉を用いて偽りを語り、また気づかない形で存在する偶像と霊的な姦淫を結ばせ
2013年08月11日 16:36

クリスチャンの成長と自由

「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)、とイエスキリストは告げられました。真理を知った者たちは真理によって解放され、罪や欲望、律法から解放され自由となっています。   しかし、私達は何かに恐れていないでしょうか? ルールやしきたり、慣習に縛られていないでしょうか? お互いにこの自由を尊重、満喫し、喜びに満ちているでしょうか? そもそもこの与えられた自由とは、何なのでしょうか?   今日は自由とキリスト者の歩みについて考えてみましょう。
2013年08月04日 17:36

いのちのパン

聖書箇所: ヨハネ6:35   「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:4)。---主が悪魔の試みに対して明確に答えられたことばですが、私がかつて公に告白した「聖書のことばが完全食品である事が解りました。」が改めて復活したこの一週間でした。もともとは律法の書に記載されているものであり、モーセがエジプトでの奴隷生活から抜け出て約束の地を目指した荒野での訓練がほぼ40年に及んだ総括のことばから引用したものです。 現代の地上での歩みについて、主は私たち信仰者に対して永遠のために働けと
2013年07月28日 10:55

キリストの豊かさ

聖書箇所: エペソ...
2013年07月21日 22:51

キリスト者の歩み

私達が新たないのちを吹き込まれてから、キリスト者としての歩みがはじまりました。ではキリスト者として、主イエスキリストが望まれている歩みとは何でしょうか。地上でイエスと共に歩んだ弟子達は、最後にはイエスを見捨てて逃げてしまいましたが、イエスの望まれた歩みをしたと言えるのでしょうか? 主は地上で宝をのではなく、天に朽ちることのない宝を積むようにと言われました。また、私達はその歩みに応じて、天において報いを受けることになると聖書には書かれています。では、天に宝を積むとは、報いを受ける歩みとは一体何なのでしょか? 今日は前回に引き続き、キリスト者の基本を考えてみましょう。

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