主の御名を呼び求めている全ての人々と共に

今日の一言

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2013年05月05日 15:14

わが道の光 詩篇46:10

【詩篇46:10】 「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。 人は知ってか知らずか、神の前に自分の主張をし続け、騒ぎ立ちます。 その主張は自らを正しいとしながら、その善悪の内に争いを生み、果ては戦争に至るまでその主張は止むことはありません。 そのように歴史は重ねられてきましたが、それは神を信じるクリスチャンとても同様です。 悲しくも神の名によってまで主張を続け争いを生み出すのであれば、神を知らない者よりも神を悲しませることになります。 なぜなら、神はご自身の御心を一人だけに語ると言うことはないからです。 こんな喩え話があり
2013年05月02日 16:10

わが道の光 ヨハネ5:7

【ヨハネ...
2013年04月06日 08:36

シカゴにて

ルカ12:56あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。。 米国にLAから入国し、南部へ回ってここシカゴが最後の都市となる。移動で7回ほど飛行機に乗ったが、どの便もほぼ満席。家族連れや老夫婦の姿も目立った。昨年も米国に来たが、今年のほうが明るくなっているように感じた。昨年、一昨年には終末を論じる人たちが米国にもみられ、暗い感じがしていたのだが、米国の景気は確かに回復し、人々の様子にも明るさが戻っている。人の意見や見た目に惑わされることなく、時代を見分けることがこの時期に重要であることを感じた。
2013年03月23日 08:06

あのゴスペルソング

先日のメッセージの中でお話したゴスペルのある曲。これがその歌詞です。 When I think about the Lord How He saved me, how He raised me How He filled me with the Holy Ghost How He healed me to the uttermost When I think about the Lord How He picked me up and turned me around How He set my feet on solid ground It makes me...
2013年03月20日 14:51

ブエノスアイレスにて

ピリピ1:18見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。 ローマを日曜日に出てブエノスアイレスに来ている。こちらは新法王の出身地とあって、そこらじゅうに新法王の写真が貼ってある。昨日の就任ミサはこちらでも中継されたが、多くの市民が大聖堂の前に集まり、設置された大画面のテレビの前で徹夜でお祭り騒ぎをしていた。新法王は、ここアルゼンチンではまるでロックスターかアイドル歌手のようだ。 どのような形であれ、キリスト教がここブエノスアイレスで省みられていることは確かであり、キリストの福音が新法王の出身地を中心に広がること
2013年03月17日 18:36

ローマにて(その2)

イザヤ56:7わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。 日曜日の今日は、ホテルの近くにあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂で祈りを捧げることにした。非常に大きな建物だが、中の一室では既に礼拝が行われており、観光客はそこには入れない。礼拝の音は外でも聞こえるので、大聖堂のいすに座り祈りをささげた。しばらくすると天が開け、御使い達が大聖堂を取り巻いている感覚がした。天からあたたかいいのちが流れ、涙が自然と溢れる。ふと顔を上げるといつの間にか周りで観光客たちが同じ様にいすに座り、熱心に祈りをささげていた。宗派を超えた熱心な祈りに、主が応えられたのだと感じた。礼拝が終わったのか、タイミン
2013年03月16日 13:51

ローマにて

箴16:18 高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。 出張でローマに来ている。丁度到着したときに新しい法王が決まったということで、マスコミなどは騒がしかった。翌日サンマルコ広場に行ったが、お祭り騒ぎの後のような雰囲気が漂っており、マスコミの機材などが散らばっていた。いくつかのマスコミは一日経った後でもインタビューを行っており、カトリックの底力を感じた。 ローマ市内を回ったが、いたるところに古代都市の廃墟がある。日本では「おごれる者は久しからず」という有名な言葉があるが、この言葉はこの街にぴったりだ。
2013年03月09日 09:39

あなたの創造者を覚えよ

伝12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。 伝道者は、その与えられた有り余るほどの知恵、権力、財産の総てを用いて人生とは何かを探求した。そして得た結論は、神の偉大さと人のはかなさだった。人は神に頼ってのみ、生きた人生を歩むことができる。その他(お金、人、権力など)に頼って歩む人生は空しく、死んだようなものである。年老いて死が近づき、「何の喜びもない。」という日が来る前に、神を知り、神との交わりを深めましょう。
2013年03月08日 19:41

とりなしの祈りを

今教会には祈りの手が必要です。 互いにとりなし合い、祈り合う、祈りの手が必要なのです。 年明けから薄々と感じ始めていたことではあるのですが、今週メッセージの中でそのことがはっきりと語られました。 教会を離れた兄弟姉妹達へのとりなしの祈りの必要性。 罪を、また世を友とするなら、自然と心は神から離れます。主のみに目を向けるのでなければ、主でない何かを頼りとする。 放蕩息子の姿は、主から心離れ、放縦に身を委ねるキリスト者の姿でもあるのですね。厳しい主からの語りかけは、同時に離れてもなお、悔い改めて神の元に帰ることを願い続ける父なる神の姿を語り、そのはかりしれない主の哀れみ深さは私達の心を強く揺り動
2013年03月03日 19:13

新しい息吹が

少しずつ、何かが新しくなっていく。そんな息吹を感じています。 このホームページが始まったのもその一つだし、またセレブレーション全体の流れ、一人一人の意識など。 もちろんそれは少しずつですが、主の確実性をもって、小さくそれでいて力強く。 この変化に戸惑いを覚えている兄弟姉妹もいるでしょう。もちろん人の目においては大きく変わってしまったこともあるわけですから。 しかし全能者の御手がそこにあり、その御手が私達の思いではなく主の御心の方へ導いて下さるという安心感が、心の奥底から湧いてくるのです。 それが主の与えたもう平安。目に見えるもの、環境に左右されることなく、外的要素に何一つ関わりなく、内側の命か

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