主の御名を呼び求めている全ての人々と共に

記事のアーカイブ

2013年04月07日 18:34

新しい出発

主は私達にこの時代においての大きな役割を担うことを、小さな日常の中に起こされます。それはこのようなあまりにも小さく思える私達が、時代を動かし、神のご計画を進めるというような大それたことを、神は私達の小さな日常の中に起こされるということです。私達がどれほど大きなことを目に見える形でできるとか、するとかいうこととはおそらく全く関係がありません。それは霊の内に、私たちは天の御座、主イエスが居られるすぐそばに居て、主の御心を聴き、主のご計画を進めるために生きる者であり、だからこそその務めは目に見えるものではないのです。主は私達に、その遣わされた場所において、神の永遠のご計画を共に担うことを望んでおられ
2013年04月06日 08:36

シカゴにて

ルカ12:56あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。。 米国にLAから入国し、南部へ回ってここシカゴが最後の都市となる。移動で7回ほど飛行機に乗ったが、どの便もほぼ満席。家族連れや老夫婦の姿も目立った。昨年も米国に来たが、今年のほうが明るくなっているように感じた。昨年、一昨年には終末を論じる人たちが米国にもみられ、暗い感じがしていたのだが、米国の景気は確かに回復し、人々の様子にも明るさが戻っている。人の意見や見た目に惑わされることなく、時代を見分けることがこの時期に重要であることを感じた。
2013年04月01日 06:18

シリーズ「この世とクリスチャン」 その2.この世:遊び場は魅力たっぷり

この世の夜の遊び場は刺激に富んでいる。ジャズなどの音楽や美食を堪能できる、ということも理由の一つだが、刺激に富んでいる大きな理由は男女の交友関係の深化をはかれる場であるということ。そこには聖書にある「不品行」を制御する厳しいおきてはなく、本人達の同意が得られればどこまでも深みにはまることができる。男女交友関係にあって男性は割と単純で、ちょっとカワイイ女性をゲットしたいという思いに満ち満ちて、夜の遊び場を利用する。従ってだれの目にもその思いはミエミエになってしまう。女性は男性よりはるかに狡猾であり(私が思うに)、定めた男性をゲットするためにあらゆる手段を自然に繰り出すことができる(カワイ子ぶった
2013年03月31日 18:48

ルカ(5)~ バイブルスタディー その65

敵が待つエルサレムにいよいよ入場し、苦難と十字架への道をイエスは歩まれます。イエスの王権が浮き彫りになって行きますが、預言的側面を忘れないように注意してください。本日の交わりで、光があたった個所は以下の通りです。 ルカ17章: 弟子たちへの教えといやし 17:5-6 信仰は量ではない。主のいのちがあるかないか。 17:7-10...
2013年03月31日 16:42

健全なエクレシア

主イエスが預言されたように、終末が近づくにつれて様々な惑わしが現れています。この惑わしは口を通してエクレシアの中に侵入し、分裂や争いごとを起こさせ、ある者はその惑わしに心を奪われ、信仰から離れるようになります(Iテモテ4:1)。実際、ネットではこれらの惑わしや誹謗中傷があちらこちらでみられ、憎悪と嫉妬に満ちているサイトもあります。このネットに見られる現象も、イエスの預言された終末におこる一つの事象なのかもしれません。 主イエスは、一人ひとりの口から出るものがひとを汚すと言われました。そしてこれらの口から出る空想話や誹謗中傷の言葉は、その人の汚れた心から出てくるものです(マタイ15:11)。人
2013年03月29日 13:17

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2013年03月24日 22:00

10月16日 コロサイ1:11

神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、・・・喜びをもって― コロサイ1:11 使徒職には信任状が付与されます。真の神聖な委託があるところには、使徒のしるしが必ず伴うのです。パウロにはその真の委託の証明が豊かに伴いました。「私は取るに足りない者」と言いつつも「使徒としてのしるしは、忍耐を尽くしてあなたがたの間でなされた、あの奇跡と不思議と力あるわざです」と第二コリント12章で彼は書きました。これから私たちは、忍耐こそが霊的力の証拠の中でも一番最初のものと分かります。それは主に「遣わされた者」としての私たちの召命の実際性をテストする絶えざるプレッシャーの下に留ま
2013年03月24日 21:48

シリーズ「この世とクリスチャン」その1.この世:切磋琢磨する競争社会

この世とは、サタンによって支配されており、ある意味魅力たっぷりの世界のこと。「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」を求めて、人々は日々切磋琢磨する競争社会である。自分のために生きる世界であり、皆「平等」、「愛」などときれいごとを並べ立てるが、結局は自己中心。そしてその傾向は終末が近づくにつれて高まっているように感じる。自分ではなく、「神中心」の神の国とは意識のベクトルがまるっきり逆である。このためクリスチャンは世の中では寄留者と呼ばれる。すなわち、この世では自分の住む世界ではないような感覚がつきまとう。。。。ハズ。この感覚が無い人は、この世にどっぷりかも(いわゆる霊的に麻痺してるってこと)。。。
2013年03月24日 18:43

ルカ(4) ~ バイブルスタディー その64

イエスの様々な形での教えが続きます。ここでも、イエスの預言的側面や預言者の継承者としての側面に注意して読んでいきましょう。本日の交わりで、光があたった個所は以下の通りです。 ルカ13章: 様々な教え 13:3、10 律法的になっていたユダヤ人たちは、心から悔い改めることもできなかった。安息日の心も理解していなかった。 13:20 女がパン種をとって混ぜる傾向。今も同じ。 13:24 狭い門から入るには、努力が必要。主に向かって歩むこと。   ルカ14章: 弟子の資格 14:18-20 世の中に財産を残している者たちほど、手放し難い。 14:18-23 食卓に呼ぶ順
2013年03月24日 17:08

御言葉は主です

前回、前々回の私のメッセージで、神が創造の御業に着手される前のご計画段階において、既に新しい共同体(エクレシア)の存在に触れましたが、今回は信者の歩みの中に現わされた新しい共同体の姿を見たいと思います。そこには律法の書以上に「あれをせよ。これをせよ」の命令形の御言葉が詳細に伴ってきます。肉(魂)は思いわずらい、拒絶反応を示しますが、しかし信者の贖われた霊は欲求としてその御言葉にチャレンジします。そして主は成し遂げてくださいます。例えば、 クリスチャンの召しにふさわしい生活を造り出すために養うべき四つの美徳として、謙遜、柔和、寛容、愛による忍耐(エペソ4:2)を要求しています。謙遜やへりくだりは

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